ハローキティで有名なサンリオの創始者です。辻氏が33歳の時に県庁を退職・創業します。本業の失敗から成功の糸口を見つけ、ひとつの強い理念から事業の多角化に成功したというお話をご紹介いたします。

辻 信太郎の生い立ち

1927年12月7日、山梨県に生まれました。
1947年、桐生工業専門学校化学工業学科(旧・桐生高等工業学校、現・群馬大学工学部)卒業。桐生工専では応用化学を専攻し、在学中はサッカリンや石鹸などを作って闇市で販売していました。
1949年、山梨県庁入庁。山梨県の職員だった辻信太郎が33歳の時、同県の物産である絹製品を販売する同県の外郭団体だった山梨シルクセンターを株式会社化。この山梨県庁退職の際は、県政功労者として3階級の昇進を受け、知事から酒類販売業免許を受けましたが、社員に重量物を運ばせることは信念に反するとして返納しています。
この山梨シルクセンターという社名をそのまま引き継いで、創業したのが始まりです。しかしその本業で同社は早々に失敗し、小物雑貨の販売に転じました。

成功への道のり

最初の成功は花柄を付けたゴム草履だったということでした。1962年、「いちご」のデザインを入れた雑貨を発売し、子供たちの間でイチゴ柄が人気となります。これをきっかけとして本格的にキャラクター商品の開発を始めるようになりました。きれいでかわいいイラストを付けることで売れ行きが大きく伸びることを知った辻は、キャラクター商品の開発に乗り出すこととなります。当初は水森亜土・やなせたかし・トシコ・ムトー等、外部のイラストレーターや漫画家にデザインを依頼していましたが、やがて自社が著作権を持つキャラクターの開発を目指すようになっていきました。
この方針のもとで、山梨シルクセンターは、1973年(昭和48年)に国際的に通用しやすい名前を求めて「サンリオ」に変更し、本社を甲府から東京の五反田に移転します。サンリオの創業目的は、「友情と助け合いによる世界平和の実現」とされ、サンリオの事業目的は、「お互いのコミュニケーションのきっかけとなる小さな贈り物」を生産することとされています。
この事業目的・創業目的の下で、1974年にハローキティが誕生します。その後は海外にも事業を展開するようになり、アメリカ・イギリス・ドイツ・ブラジル・チリ・台湾・香港・韓国・中国に事業会社や映画の制作配給を行う会社を設立させています。

辻 信太郎の言葉

私たちは「人類が最初に住み始めたと言われる河のほとりに聖らかな文化を築きたい」という気持ちでこの会社を設立し、「其処に集まる人々がお互いに思いやりを持ち、仲良く暮らせるコミュニティ(集団)を作りたい。」という願いをこめて今日まで運営し続けています。
これからもその友情を育てるためのソーシャル・コミュニケーション・ギフト商品をはじめ、グリーティングカード、音楽、映像、図書、ライブエンターテイメントなどをコミュニケーションの手段として提供することにより、世界中に流れる河の水のように世界のすみずみにまで仲良しの輪、友情の輪を広げてゆきたいと思います。

株式会社サンリオホームページより