こちらも、おなじみのマクドナルドです。日本でも、多数出店されており、大成功したシニア起業家といえます。

レイ・クロックの生い立ち

1902年、レイ・クロックはイリノイ州シカゴ西郊のオークパークに生まれました。
彼が15歳の時、高校中退後の第一次世界大戦中に救急車ドライバーの訓練を受け衛生隊に所属し、終戦後はピアニスト、ジャズ演奏家、バンドメンバー、紙コップのセールスマン、など職を転々としました。販売に長けており、ビジネスに対する目も確かだったそうです。
あるとき顧客の1人でプリンス・マルチミキサーズ社のオーナー、アール・プリンスから本人が発明した5種類のミルクセーキを同時に作る機械「マルチミキサー」の独占販売者となり、国中を旅して回りました。クロックは52歳までこの仕事に取り組んでいました。

成功への道のり

老後の蓄えの心配もなくなり、その年代の男性と同じように、引退を考え始めていましたが、52歳の時、運命の日がやって来ます。それはサンバーナディーノにあるマクドナルド兄弟が経営していた小さなハンバーガーレストランに入ったときのことでした。
クロックは相当数の人数の客を次々とさばける、効率化された調理システムに興味を持ち、次の世代のレストラン革命を起こすと確信、ひと目でこの商売にほれこみました。その後、自分をマクドナルド兄弟に売り込み、フランチャイズ権を獲得。
1955年4月、クロックが53歳の時にイリノイ州デスプレーンズに最初のフランチャイズ店を出店しました。これに続いていくつかの店舗が開設されましたが、この立ち上がりのころ、財務的な問題にぶつかり、それが原因で倒産寸前にまでなってしまいました。
そこでクロックは打開を図るため、レストランの建設用地を買収し、それをフランチャイジーに賃貸するという方策を取ります。こうしてクロックは以前にも増してきめ細かな管理を続けることができるようになり、同時に利益も稼ぎ出すことに成功します。
59歳の時にマクドナルド兄弟から商権を270万ドルで買収。63歳の時に株式公開。82歳になる頃までには世界34か国で8300店舗を開きました。
クロックは生涯で5億ドルの富を築き、『タイム』誌の「Time 100」にも選出されています。

クロックの名言

幸せを手に入れるためには、失敗やリスクを超えていかなければならない。
床の上に置かれたロープのうえを渡っても、それでは決して得られない。
リスクのないところには成功はなく、したがって幸福もない。
いろんな人に会って、いろんな考え方を知ること、
いろんな現象を分析する能力がなければ経営はできない。